現代短歌社

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現代短歌社の主催事業のご報告。

パネルディスカッション

「岡井隆の〈詩〉を読むつどい」を開催

現代短歌社は「岡井隆の〈詩〉を読むつどい」を都内にて開催し、オンラインを含め52名が参加しました。

日時
2021年3月14日(日)14:00-17:00
場所
中野サンプラザ「フォレストルーム」 
登壇者
小池昌代 平田俊子 藤井貞和 松井茂 江田浩司(司会)

未知の川辺にて
天草季紅

 

穏やかに晴れた一日だった。会場に入るとオンラインのためのカメラや音響機材が設置され、人影が動いて、リハーサルの始まるスタジオに紛れこんだような雰囲気がなつかしい。同じ床の高さにパネリストの席があり、直接語りかけられているような近さでお話をうかがうことができた。
私は岡井隆の愛読者ではなく、これまで距離を置いたかたちでしか眺めることができなかった。だからなのだろう、案内をいただいたとき、ふと参加してみようという気持ちになった。そして、近所の図書館で、比較的刊行年の新しい詩集と歌集、『注解する者』と『鉄の蜜蜂』を借り、それを読んで出かけた。そんな不案内な参加者であるからどれほど理解できたかはわからないが、生前交流のあったという四人のパネリストのお話はどれも興味深く、岡井の大きさを偲ばせる温かいものであった。
特に印象に残ったのは、岡井にとって詩は最初からプログラムの中にあったらしいこと、話題が、おそらくは期せずして、始原へ(古代へではない)さかのぼる内容をふくんでいるように思われたことである。『オー』をめぐる平田俊子氏のお話や、岡井の言葉が個体発生と同時に系統発生を想わせるという小池昌代氏のお話、岡井の中には魔物とも怪物ともいえるものが棲みついているという藤井貞和氏のお話、岡井の短歌と詩にまたがる活動は単なるジャンルの併用ではなく、韻律や音数律をふくめた日本語による詩の可能性の探索に繋がっていることなど。とりわけ驚かされたのは、松井茂氏が提出された「プリコラージュ」の概念で、これは身近にあるものを寄せ集めて作るという意味で日曜大工とも訳される、もともとは文化人類学でのレヴィ=ストロースの用語である。それが文芸の用語として現代にどのように蘇生して用いられているのか、岡井自身がどう認識していたのかまではわからなかったが、そう言われてみると、たしかにそうにちがいないと思えてくるから不思議である。変化をいわれることも多いようだが、岡井の軸は、意外にぶれていないのではないか。そんなことも考えさせられた。自分の関心にひきつけた聞き方になったかもしれない。岡井隆の全体像の評価はまだこれからなのだろう。

「現代短歌」2021年7月号より転載

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