現代短歌社

イベント

現代短歌社の主催事業のご報告。

スタディツアー

原発事故スタディツアーを共催

現代短歌社は「原発事故スタディツアー」をFスタディツアー(福島県いわき市)と共催し、13名が参加しました。

日時
2019年1月13日(日)~14日(祝)
集合及び宿泊
いわき湯本温泉 古滝屋
日程

1月13日(日)
16:00~18:00 オリエンテーション 
「故郷喪失」吉田信雄(元教員 原発避難者 いわき市在住)
「いま再び、当事者性について」高木佳子(歌人 いわき市在住)
19:00~21:00 懇親会 古滝屋に宿泊

1月14日(祝)
古滝屋を出発(9:00) → 希望の牧場・ふくしま → 請 戸漁港 → 浪江町仮設商店街まち・なみ・まるしぇ → 浪江駅周辺 → 国道6号線を南下し帰還困難区域、福島第一原発近くを通過 →桜ノ森 →福島第二原発を一望する観陽亭跡地等 → 古滝屋にて解散(17:00)

「何も終わってはいない」
田中律子

 

1月13日から2日間の行程で現代短歌社主催の「原発事故スタディツアー」に同行した。参加13名の限定ツアーだ。

初日、被災者の一人である吉田信雄氏の講演「故郷喪失」に胸を塞がれる。避難所生活、一時帰宅、そして仮設住宅から郷里を離れるまでの苦渋の日々を綴った作品21首に当事者の偽らざる思いが滲む。被災地に残した愛犬の死を悼んだ1首が心に痛い。

・一時帰宅に帰ればわが家の軒下に飼い犬は死せり繋がれしまま

また、いわき市在住の高木佳子氏の講演「いま再び、当事者性について」には多くを学ばせられた。福島市のサンチャイルド像(防護服を着た子供の像)の設置と撤去を巡る論議は問題の複雑さを私たちに突きつける。「当事者」とは何であったのか、改めてその問いの重さを痛感した。同時に、被災者を特別な存在として優越的に扱おうとする意識に違和感を抱く高木氏には深い共感を覚えた。

翌日はツアーガイドを伴って被災地を巡る。浪江町の「希望の牧場・ふくしま」では、国や県の殺処分指示を拒否して300頭もの牛を飼育する吉沢正巳氏に会う。そこに食肉として売れないことを承知で闘い続ける強固なまでの抵抗の意志を見た。穏やかに草を食む牛たちのまなざしが柔らかい。莫大な飼育費の一部は海外からの支援に与っているものの、国内の多くは無関心なのだという。無言のまま天寿を全うするこの牛たちこそまさに抗議の象徴だろう。

福島第一原発10キロ圏内の浪江町では一部避難指示は解除されたものの今も帰宅困難区域が大半を占める。荒廃したままの家屋が続く。何も解決などしてはいない。また請戸漁港は第一原発の7キロ圏に位置し相当数の漁船が停泊するが、まだ本格操業には至っていない。「浪江町の復興は請戸漁港から」と墨書された大漁旗が風に靡く。津波に圧し流された堤防や岸壁、漁港の設備の復興にはまだかなりの時間を要すると聞く。海の向こうに霞む福島第一原発の躯体が不気味だ。

漁港近くの請戸小学校は全校生徒77名が2キロ先の大平山まで避難して奇跡的に助かった。時計塔は津波が到達した15時38分で止まっている。大平山共同墓地の慰霊碑には津波の犠牲になった182名の名が刻まれている。

祝日だったせいだろうか。浪江町で開いている店舗はほとんどなく町は閑散としている。ときおり大型の工事車輛が往き来する程度でガソリンスタンドも多くは閉鎖されたままだ。国道6号線を南下して双葉町、大熊町に入る。ここも帰宅困難区域でバリケードの傍には昼夜を問わず警備員が立哨する。解体された家屋も、8年近く荒れ放題のままの民家もある。夜には猪が群れをなして奔り回る日もあるという。時間が停止しているのだ。空地は無数のフレコンバッグで埋め尽くされ、比喩としての適切さを欠くかもしれないが、それはまさに黒い墓場である。

富岡町に入る。富岡駅は一昨年10月に復旧したが、富岡浪江間の常磐線は今も復旧していない。ここから富岡町3.11を語る会の青木淑子代表にガイドを頼んで町内を巡る。一部を除き避難指示は解除されているものの、居住率はまだ6%に過ぎない。一時帰宅をしても猪や鼠に荒らされた自宅を前に帰宅を断念する人も少なくないと聞く。それでも昨年4月には夜ノ森公園の桜祭りが8年ぶりに開催された。郷里を愛する人たちの思いの濃さに胸が熱くなる。

福島第二原発を一望できる観陽亭跡地の高台に登る。新たに建て替えられた家屋も点在するが、広大な農地には企業のメガソーラーが架設され、畑一面が異様なまでの光彩を反している。

あの震災から早くも8年。2日間のツアーで被災地の実情が分かったなどとはとても言えない。ただ知らなさ過ぎた自らを恥じるばかりだ。原発事故で喪われた大切なもの、それでも郷土を守り続けようとする人たちの意志の強さ。都心に送られる電力は全てここから送電されている。私も当事者の一人として、この痛みと向き合っていかなければならないと深く心に刻んだ。

現代短歌新聞2019年3月号より一部改変

トップに戻る