現代短歌社

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現代短歌社の主催事業のご報告。

パネルディスカッション

福島市でパネルディスカッションを開催

現代短歌社はパネルディスカッション「分断をどう越えるか~福島と短歌~」を開催し、パネリスト、報道関係者を含め県内外から28名がつどいました。

日時
2018年1月21日(日) 14:00〜18:00
場所
セレクトン福島(福島市)
プログラム
基調講演「分断と文学の可能性」 大田美和
パネルディスカッション
「分断をどう越えるか ~福島と短歌~」
パネリスト 齋藤芳生・高木佳子・本田一弘
司会 大田美和

「分断をどう越えるか ~福島と短歌~」
恩田英明

 

去る1月21日に福島駅前のホテル、ザ・セレクトン福島で開かれたパネルディスカッション「分断をどう越えるか~福島と短歌~」(現代短歌社主催)は、基調講演「分断と文学の可能性」(大田美和)、基調報告「分断をもたらすもの~沖縄の現在~」(屋良健一郎)及びパネルディスカッション(パネリスト・齋藤芳生、高木佳子、本田一弘、司会・大田美和)で構成された。

大田氏の講演は、自身の研究が、近代の植民地主義によって生まれた分断が解消されていない日本と朝鮮という支配者側と被支配者側双方の心を繋ぎ直す試みでもあるとの自己紹介から始まり、分断は現代社会のキーワードであるとした。また、東京大学の教員達が高校生向けに行った講義録『分断された時代を生きる』について、高校関係者が「うちの高校生は東大を受験しないから」と考え、それ自体が、自分とは関係がないという分断と思考停止が起っているという、ひとつの類型を示した。

そして、文学や音楽や美術は、社会において役に立たないものと考えられ、短歌の力も小さいものだが、無力だから何もしないのではなく、手を繋ぎ合えるところを見つけて連帯の可能性を探っていこうと呼びかけた。屋良氏の報告は、市街地の普天間基地を辺野古地区に移設することに対する反対運動に取材し、歴史的に基地と経済的、文化的に関係が深い現地集落やそこの住民の姿が反対運動の側やメディアや歌人の目から抜け落ちていると指摘。表面化しない住民不在への気づきと、それぞれの来し方に思いを致すことが分断を越えるために大切であるという方向付けを示した。

このあと、パネルディスカッションに移った。登壇の齋藤氏は中通りの福島市、高木氏は浜通りのいわき市、本田氏は会津、大田氏は東京の住人。齋藤氏は、報道などでは、原発事故後に福島を捨てて大勢出て行ったマイナスイメージがあるが、実際の福島市やいわき市では人口が微増している事実を確認。片仮名表記のフクシマからは、福島のそれぞれの地域のそれぞれの人々の歴史や生活が見えず、フクシマは私の知っている福島ではない、と指摘した。高木氏は、自治体の指示に従って屋内避難をしていたら周囲がみんな逃げていた、という自身のようなケースのほかに、市内には、津波被害を受けた人達、原発事故により他地域から避難してきた人達、原発事故対応の作業者らが混在している浜通りの現状と実際の生活実感をまず語った。

高木氏自身に対し複数の取材もあったが、福島に対するメディアの紋切型の編集意図に疑問を持っていたため、それらには一切応えなかったとの対応ぶりが印象的だった。また、短歌作品を含め、余所者に何がわかるか式に、弱者が強者に逆転していることへの疑問と違和感、何が正義なのかわからない、という正直な思いが語られた。

本田氏は、福島はもともと地域が三つに分れていて、気質も文化も違うそれぞれの地域性からくるある種の分断の存在の上に、震災が起きて、現在言われる分断と呼ばれる状況になったという押え方を示した。そのうえで、福島の土地ことば(方言と言わずに)「しやああんめえ」、「さすけねえ」を使った作品を例示し、土地ことばを丁寧に考えることで分断を越える契機になるのではないか、と説いた。司会の大田氏は、パネリストの発言を引き取って、福島をフクシマで束ねないで下さい、それぞれの地域の一人一人の福島を短歌や文学の言葉はすくい取って表現できるという主張として受け止めた、とまとめた。この後の、会場内との質問対応は割愛する。
なお、福島県の地元紙には、県内各地の放射線測定値が日々掲載されていた。全国紙にも欲しい。

現代短歌社新聞 2018年3月号より一部改変

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