現代短歌社

おかえり、いってらっしゃい

前田康子

おかえり、いってらっしゃい

gift10叢書第46篇

前田康子は森羅万象を等しく母の眼で見ている。水俣を、長島愛生園を、辺野古を、撲り殺されるアホウドリを、腹ぺこの熊を、路傍の草花を、同じ眼差しで捉えている。本当の事を知る者の冷えきった哀しみと、母としての祈りと。だから、その歌をポケットにしのばせておきたくなるのだ。「古ぼけたお守り」のように――。第5回佐藤佐太郎短歌賞を受賞後初となる第六歌集。

  • 会うたびにどこから来たの 朝顔の頃あなたからこぼれ落ちたよ
  • ひんやりと足踏みミシンに秋が来て踏めば遠くに行けるだろうか
  • 桜いろ桃いろやさしき赤紙は物資不足のゆえと書かれき
  • おかえりといってらっしゃい言えぬ場所へ子ら二人とも行ってしまえり
  • ひと粒のぶどうは丸く閉じたのに私の歯もてひらかれてゆく
  • 定価:2,200円(税込)
  • 判型:四六判ソフトカバー
  • 頁数:188頁
  • ISBN:978-4-86534-405-9
  • 初版:2022年8月26日
  • 発行:現代短歌社
  • 発売:三本木書院(gift10叢書第46篇)

購入はこちら ご注文はメールまたはお電話でも承ります。
info@gendaitankasha.com


※ご注文いただく時点で品切の場合もありますので、ご了承ください。

BR書評 Book Review

ひとつきりの 富田睦子

 佐藤佐太郎短歌賞を受賞した『窓の匂い』に続く第六歌集。
 子どもが巣立ちその先にある社会を意識せざるを得なくなる頃は、同時に親の老いと死、そして自らも体調を崩すという人生の折り返しの時。やわらかく歌う。
・寂しさを宙に浮かせているようにルリタマアザミ直立したり
・ひとつきりのひとの命を思うときウスイロツユクサただうつむけり
・なつかしい何でもない日の母のごはんモロッコいんげんお揚げと炊いて
 植物の名前の使い方が鮮やかだ。アザミではなくルリタマアザミ、ツユクサではなくウスイロツユクサ、いんげんではなくモロッコいんげん。その小さな差異こそが、同じように今を生きる他者と自分の差異であり、昨日とも明日とも違う今なのだ。二首目は義母が亡くなった時の歌。ウスイロツユクサは来年も花を咲かせるだろうが、今うつむいて咲くこの花はやはりひとつだけなのだろう。ひとつひとつに名を与え存在を与えるような作品に胸打たれる。
・馬乗りに押さえつけたることのあり圧縮袋の空気抜かむと
・あるだけの硬貨を飲ます 苦しめるごとく自動精算機に
 自分の中にある暴力性に目を向けた歌。関係の不均衡は自分が強者である時は気づきにくい。女性であり若者であることで被った多くの不条理や圧力。だが、被害者であった自分も、気づいてみれば加害の側に立っていたことがあるのかもしれない。現代的な問題意識が見えてくる。
・いつからかポストの前に立ち止まり投函はがきを読み返す癖
 歌人は世の中で最も多くはがきを書く人種だと思う。一枚一枚の向こうの存在が、その大切さが改めて身に染みるのだ。

(現代短歌新聞2022年11月号掲載)

続きを読む

他の書評をみる

TOPページに戻る

トップに戻る