この歌集は、一九八六(昭和六一)年に出版された。三十五年が経つ。私は深く後悔している。幾つかの歌は知っていたが、一冊まるごとを読んでいたわけではなかった。これほどに味わい深い歌集であるとは。無知は罪でもある。復刊を喜び、安田純生氏の三十代の歌の愉しさに感嘆している。
最初にドキッとするのは、この歌だ。
・貪婪【たんらん】に愛を欲るらむ木蓮は白き生殖器あまたかかげて
木蓮のあの純白の花を「生殖器」と詠む。たしかに生殖器ではあるが、この露骨なエロス。そして貪婪、むさぼるような愛恋を欲しているのだろうと推量する。この大胆な一首に驚かされる。 一方で「若きらと夜ふけまで呑み田の間【あひ】の小みちに坐して独り歌へり」とユーモラスな自画像がある。安田氏は国文学者でもある。若き学生と吞むこともあった。
氏の祖父安田青風、伯父章生も国文学者であり歌人であった。氏は現代短歌における文語の問題について大きな示唆を提起されている。祖父の死により若くして「白珠」の代表になる。この歌集中のできごとである。重責を感ずることもあったであろうが、歌には諧謔もあり、どこか軽やかである。
ユーモア、エロス、そしてペーソスの香りただよい、虫や小動物への親愛、それに早い晩年感が魅力である。
・嘘つくを楽しみとせり夢の中の老いたる妻と老いたるわれは
・君とわれ パン食ひつつ過去をいひこのあかときの晩年めける
・よろこびをふたりの尻より吸ひながら巌【いはほ】は波の花さかすらむ
歌集の中に時折顔を覗かせる妻と過ごす二人の平安な時間だが、ここにも諧謔がひそむ。なんとも愉しき歌集である。
(現代短歌新聞2021年6月号掲載)