現代短歌社

梨の花

小池光

梨の花

gift10叢書第21篇

『思川の岸辺』で涙に濡れたあなたの心は、この『梨の花』を読んで、きっと、笑いを取り戻すだろう。現代短歌の極北をひとり行く歌人の第十歌集。

  • フィリピンの人と再婚しないでと長【をさ】のむすめが真顔にて言ふ
  • わが半生かへり見すれば自転車泥棒いちどもせずに来たりしあはれ
  • 黒雲のしたに梨の花咲きてをりいまだにつづく昭和の如く
  • 定価:3,300円(税込)
  • 判型:四六判ハードカバー
  • 頁数:338頁
  • ISBN:978-4-86534-262-8
  • 初版:2019年9月14日
  • 発行:現代短歌社
  • 発売:三本木書院(gift10叢書第21篇)

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BR書評 Book Review

じんわりとくっきりと 大松達知

 仮に理想の短歌があるなら、こんな姿をしているのかもしれない。
・息つめて引き抜きにけりしろがねのかがやきもてる鼻毛いつぽん
 とてつもなく退屈でありながら蜜のような作品。情報量はかぎりなく無に近く、大きな発見や主張はない。
 しかし、豊かな味わいの余韻がある。個人情報や個人の見聞の切り取り方が、ぼんやりしているようで、厚紙の裏から見るマジックの太線のように、じんわりとくっきりと見える。
 それはまさに短歌の真髄に触れる業なのだろう。内容を読むのではない。「短歌」のリズムと言葉の交合を読んでいるという感覚。
 冒頭の歌、題材の鼻毛抜きはどうでもいい。数多くの老いの感慨を読む歌と差はない。
 しかし、職人・小池光にかかれば「息つめて」の場面設定による緊迫感、「にけり」による劇画化、「しろがねの」による詩語化と場面浄化、「いつぽん」によるおかしみと寂寥感の創出、などを経て、こんな場面が、まるで能舞台の上での厳かな所作のような風合いを帯びる。それも、さりげなく読者に的を絞らせないように。そこに他のどの芸術の形式とも違う呼吸を感じさせ、何が短歌で何が短歌でないのかを峻別する。
 だがしかし、そうは言っても、人生上の大事件とその余波はある。妻の死のあとの生活と愛猫の死だ。
・その前夜をはりのちからをふりしぼり嚙み切るまでにわが指を嚙む
・辛かりしをりふし膝の上にゐてねむるいのちになぐさめられき
 ここには感情のダイナミックな振幅がそのまま映されている。
 一人の作者の中のその揺れこそが歌であり、歌集として出てしまうものなのだ。

(現代短歌新聞2019年12月号掲載)

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